名付け得る

お昼近くに目を覚ました。休みの日ほど早く起きたい(もったいないから)のに、失敗した。

今日は仕事用の半袖シャツを買ったり、証明写真を撮ったり、図書館に行ったり、車のガソリンを入れたりした。前半の2つですでに疲れて、図書館に入るときには軽い頭痛と目眩がした。借りていた本を返し、次に借りる本を求めて図書館中をさまよい歩いた。どこを見ても背表紙で、書かれている文字をどうしたって読んでしまうから脳が疲れて、ますます頭痛目眩は酷くなる。

ふらふらになりながら、詩のアンソロジーや関連書を数冊借りた。気になったまま読んでいなかったアメリア・グレイ『AM/PM』も偶然見つけて、借りた。

さいきんは小説よりも詩を読んでいる。詩の映す景色や、その根底にある問いかけや悲しみ、虚しさやるせなさ諦め、そういうものを読んでいるのだと思う。読んでいるというより、絵を眺めている感覚に近い。詩はわからないと思っていたが、解説のちゃんと載っているものを読むと、わかった気になれて嬉しい。

しかし、小説の、面白い小説に出会ったときの、お腹にずどーんと打ち込まれたような、取り返しのつかなさを久しぶりに感じたいなぁとも思っている。この小説に俺は、わずかだけれどたしかに変えられてしまった、人生の方向を少しだけ変更させられてしまった、という気持ち。

そのうち夜になって、明日から始まる平日に憂鬱としている。動悸がする。心音がどくどく聞こえる。スマホは時間泥棒という言葉を思い出さない日はないくらい、スマホを触っていると時間があっという間にすぎる。だから今日は、スマホの電源を落として過ごした。「あっという間」が「1.2倍速」くらいになった。

なぜ時間の進みがこんなにはやいのだろう。

不安だから?いろいろなことに慣れてしまったから?

こんな風にして、どんどん時の流れははやまるのだろうか。