典礼

ベッドの中でこれを書く。

 

2週間前から憂鬱に思っていた仕事が、今日の午前中、あった。アップライトピアノを運搬する仕事。依頼者は中学校の教師で、その人の家から結婚した娘の家へとピアノを運んだ。どちらの家も新築で、だから壁に傷をつけることは許されなかった。

やってみると、先輩がどういう風に運ぶか考えてくれて、俺はただそれに従っていればいいだけだった。部屋からどの向きでピアノを出し、どちらの方向に転換して、どこから抜けていくのか。そういうことはすべて先輩が考えてくれた。ピアノが重かったことを除いて、大変なことはなかった。

しかし、朝からその仕事が憂鬱で仕方なかった。どんくさい自分のことだから、絶対どこかにぶつけてしまうと、絶望的な気分になった。心の中で「仕事に惑わされるな。今は家にいるんだから自分の時間だ。」とマントラのように唱えつづけた。

そんな心持ちの中で詩を読んだ。

茨木のり子「自分の感受性くらい」

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

初心の消えかかるのを直視し、ひよわな志を受け入れる、自分に対する実直な眼。

ひよわさを受け入れた先にあるのは何なのか。